文学は人をからかうために作られた最良の玩具である
───アルバロ(鼓直訳『百年の孤独』より)
コロンビア生まれの稀代のストーリーテラー、ガブリエル・ガルシア・マルケス(1927-2024)の作品、作品についての評論・エッセイ、および作家についてのエッセイなどから得た情報をもとに、徒然に語ります。
マルケスの生年
かつてのマルケス関連の出版物のほとんどに作家の生年は1928年であると記されていた。邦訳の作者略記の欄でも、集英社『世界文学事典』や平凡社『ラテン・アメリカを知る事典』でも、やはり1928年であった。
ただ、『百年の孤独』の訳者・鼓直による「マルケス評伝」(『ユリイカ』1988年8月号に収められる)には、出生証明書を調べなければいけないとしながら、27年説も有力であるという注釈があった。作家の父親が、長い歳月の後ブエンディーア一族の物語を書くことになる長男が生まれたのは、その物語の中でも重要なエピソードとして語られているバナナ会社のストライキ騒動(1928年)の前年であるとしている、というものである。
この問題に決着をつけたのが、作家と同国生まれのダッソ・サルディバルによるマルケスの評伝『種への旅』(El viaje a la semilla, Alfagura, 1997)であり、件の出生証明書を示し、1927年3月6日生まれであることを確認している。
リンドバーグが「あれがパリの灯だ」と大西洋無着陸飛行に成功し、ハイゼンベルクが不確定性原理を発表した1927年は日本では昭和2年。その夏の盛り、「ぼんやりとした不安」をかかえた芥川龍之介が自殺する。この年生まれの作家に藤沢周平、吉村昭、石牟礼道子、北杜夫など。そしてマルケス出生の三年前に安部公房、翌年三島由紀夫が生まれている。
文庫で読むマルケス 没後篇
以下が2003年に書いた「文庫で読むマルケス」である。
「マルケスは生存する作家の中でおそらく最も有名で重要な一人であろうが、その割には文庫化されている作品が少ない。表題の短篇集の他に中篇「大佐に手紙は来ない」を収める『ママ・グランデの葬儀』と、二種類の全集に収められた後、文庫化された『族長の秋』が集英社文庫。『青い犬の目』(福武文庫)、タイトルが切り詰められた『エレンディラ』(サンリオ文庫、のちにちくま文庫)は文庫版しか発行されていない。『予告された殺人の記録』が新潮文庫で、これにちくま文庫の『幸福な無名時代』が加わった六作品のみ。
さらにアンソロジーとして、表題作と「イシチドリの夜」が収められた『エバは猫の中─ラテンアメリカ文学アンソロジー』(サンリオ文庫)、これも表題作が収められた『ラテンアメリカ文学アンソロジー─美しい水死人』(福武文庫)、英語からの重訳「最近のある日」が収められた『超短編小説・世界編』(文春文庫)がある。
『落葉』『悪い時』『迷宮の将軍』、それに何より『百年の孤独』はどうなっているのか。『百年の孤独』の改訳のきっかけは文庫化の話であったと、訳者はどこかで書いていたが…。かつて新潮文庫にモーム全集があり、ちくま文庫には今でもかなりの個人全集が納められている。せめて既訳分だけでも個人選集の形でマルケスの作品を文庫で出していただけないものか。
文庫版マルケス選集が似合いそうな出版社をあれこれ物色してみる。角川、集英社、文春…それぞれ特色を生かした全集ができそうなのだが、岩波文庫にはどうも納まりが悪いようだ。デザインがすっきりしすぎ、マルケス作品の猥雑さとは不釣合いな気がするのである。
ここでは単行本の発行点数が最も多い新潮社に一肌脱いでもらおう。各巻の表紙は原書初版のカバーを再現する。解説はかつてマルケスを論じたことのある作家にたっぷり書いてもらう。たとえば、『落葉』を収める巻は丸谷才一、『百年の孤独』は「『百年の孤独』の諸相」の池澤夏樹といきたいところを、氏には「『族長の秋』の諸相」を書き下ろしていただく。そして、筒井康隆、村上春樹、高橋源一郎にはどの作品を解説してもらおうか…。
あがりそうのない雨のほとんどお客のない日、帳場に坐ってマルケスの棚に時折目をやり、餅を絵に描く果てしない企画を練ってみる。」
この後、2010年にちくま文庫に『誘拐の知らせ』が、翌年、集英社文庫に新装版『族長の秋』が加わり、さらに2022年には野谷文昭編訳の『ガルシア⁼マルケス中短篇傑作選』が河出文庫に加わった。
そして作家没後10年目の2024年6月に新潮文庫版『百年の孤独』が遂に刊行されると、その売れ行きはもの凄かったようで、文芸誌だけでなく、テレビや週刊誌でも取り上げらるほどだった。
さらにその年の11月光文社古典新訳文庫として『悪い時』(寺尾隆吉訳)が詳細な解説と年譜つきで刊行された。
新潮社の予告によれば本年2025年2月、新潮文庫版の『族長の秋』が刊行されるとのことである。新潮社としては『百年の孤独』の二匹目の泥鰌を、ということなのかもしれないが、ここはぜひ「文庫版マルケス選集」ないしは「全集」を目指していただきたいものである。